2018/12/12 02:35

うえさまは、全ての人の上にいる立場です。
だから偉い正しいとかでなく、そういう人です。
偉い正しい、を求められる人ですが。



全て、というのは、いわゆる良い人、善い人賢い人ばかりではないということです。
このカテゴリは沢山にわかれます。
世間一般で言う善い、が良いこともないことがあるのは歴史が証明しています。
悪い、不良、とカテゴリづけされてても別の方向から見れば良い人もいます。
そういう人にも適切なまつりごとを提供せねばなりません。


つまり何もかも不確かで、幼い頃からほとんど何も頼れない。
愛情、道徳、まことの規範であるはずの武士道ですらです。



こういう時、昔の人は『まず仏法』でありました。
何度も絶望したはずのうえさまもそうだったでしょう。

仏法から入ったはずでしたが、気がつけば『自然』を見ていたはずです。

自然は普通、絶対に個人を否定しないものですよね。

たくさん怖い恐ろしいわからない一面は持ちますが、おおむね受け入れてくれるのが自然です。


士農工商制度というものがありました。
武士が一番偉く、その下に順次、偉くないと格付けされていたのですが、


飯を作っているのは誰か。
誰が本当に自分を食わせてくれているのか。



当時、本当は一番しいたげられていた「農」の方々です。


これにまことに気づいた時、うえさまはどんな心境だったか、私もわかりません。
土から人はどうあがいても逃げられない。
食わなければどうなるか、誰でもわかりきっています。


自然とご飯をくれる方々にありがたい、と本気で思えるようになったとき、
彼は本当に優しい王となれたのではないかなあ。。と思います。




ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。